2023年07月01日
楽しい飲み会
長野県の県と市町村が共同で電子申請システムの導入に関わる部会に参加していました。19時前から14年前迄という期間が導入にかかった時間です。
当時の電子申請は様式を統一する必要があると考えていたが、当時、長野県には121市町村あったので、様式の統一など望めるものでもなく、どうするべきか悩んだものだった。
複数の自治体が手弁当で集まって、年に12回くらい会議をやって、仕様書を書いてもらったり、調達の検討や運用の検討を、集まったメンバーでやっていました。
それぞれ、得意な分野があり、書類の作成もパートパートで分けて書くとか、本当にワンチームになってやっていました。
その当時のリーダーをやってくれていた、伊那市の人と、本当に十何年ぶりに「さしのみ」をしてきました。
同士とも、戦友とも、友人とも言える仲間です。
最近でも、仕事では同業なので、オンラインやオフラインで話をしたりすることはあるものの、本当に飲み会は久しぶり。
でも、「昨日も一緒だったじゃん」というのは大袈裟なものの、「先月も飲んだよねって」思えるくらい、に話が弾みます。
そして、最近のことは、話題にならないのですが、この共同化事業に参加した時のことは、お互い鮮明に覚えていました。
アレやコレや、あった事が次々に出て来て、3時間の間、話が途切れることはありませんでした。
どちらが遠慮するとか、そんなこともなく、お互いの話で大きく盛り上がるし、その時に一緒にいた、他の自治体のメンバーの話にもなったりしました。
今思えば、あの当時、打ち合わせで県庁や長野市役所に行ったりして、、4〜5時間の打ち合わせを月1回以上やっていたわけなので、仲良くなるのも不思議ではないのですが、でも、普段の自分の仕事をしながら、それだけの時間を作って、打ち合わせするのは、なかなかできることではありません。
ましてや当時はこんなに便利に打ち合わせとかできなかった時代なので、集まってやる会議はすごく重要。時には、自治体向けの説明会を業者に任せず、自分たちで資料も作ってやり切るなど、かけていた思いは強いものがありました。
だから、おのずと仲良くなっていったのだと思います。
あの「電子申請の導入」があったから、今の自分達がいると思えるし、今の長野県の様々な共同化にも繋がってるんだと思います。
今、同じことを若手職員にやれと言っても、できるかわかりませんが、この事業以降、県内に知り合いが増えて、いろんな方との交流が進んできたのだと思います。もちろん、当時も仕事だけじゃなく、仕事の後の交流会があって、懇親が深まったことは、言うまでもありません。
一次会、カラオケ、三次会とか、みんなで泊まり込みしたり。
今はもう、当時のメンバーを全員集めることは、叶わないのですが、久しぶりに集まれる人だけでも、集めて思い出話に花を咲かせてみたいなとも思ったりしました。
当時の電子申請は様式を統一する必要があると考えていたが、当時、長野県には121市町村あったので、様式の統一など望めるものでもなく、どうするべきか悩んだものだった。
複数の自治体が手弁当で集まって、年に12回くらい会議をやって、仕様書を書いてもらったり、調達の検討や運用の検討を、集まったメンバーでやっていました。
それぞれ、得意な分野があり、書類の作成もパートパートで分けて書くとか、本当にワンチームになってやっていました。
その当時のリーダーをやってくれていた、伊那市の人と、本当に十何年ぶりに「さしのみ」をしてきました。
同士とも、戦友とも、友人とも言える仲間です。
最近でも、仕事では同業なので、オンラインやオフラインで話をしたりすることはあるものの、本当に飲み会は久しぶり。
でも、「昨日も一緒だったじゃん」というのは大袈裟なものの、「先月も飲んだよねって」思えるくらい、に話が弾みます。
そして、最近のことは、話題にならないのですが、この共同化事業に参加した時のことは、お互い鮮明に覚えていました。
アレやコレや、あった事が次々に出て来て、3時間の間、話が途切れることはありませんでした。
どちらが遠慮するとか、そんなこともなく、お互いの話で大きく盛り上がるし、その時に一緒にいた、他の自治体のメンバーの話にもなったりしました。
今思えば、あの当時、打ち合わせで県庁や長野市役所に行ったりして、、4〜5時間の打ち合わせを月1回以上やっていたわけなので、仲良くなるのも不思議ではないのですが、でも、普段の自分の仕事をしながら、それだけの時間を作って、打ち合わせするのは、なかなかできることではありません。
ましてや当時はこんなに便利に打ち合わせとかできなかった時代なので、集まってやる会議はすごく重要。時には、自治体向けの説明会を業者に任せず、自分たちで資料も作ってやり切るなど、かけていた思いは強いものがありました。
だから、おのずと仲良くなっていったのだと思います。
あの「電子申請の導入」があったから、今の自分達がいると思えるし、今の長野県の様々な共同化にも繋がってるんだと思います。
今、同じことを若手職員にやれと言っても、できるかわかりませんが、この事業以降、県内に知り合いが増えて、いろんな方との交流が進んできたのだと思います。もちろん、当時も仕事だけじゃなく、仕事の後の交流会があって、懇親が深まったことは、言うまでもありません。
一次会、カラオケ、三次会とか、みんなで泊まり込みしたり。
今はもう、当時のメンバーを全員集めることは、叶わないのですが、久しぶりに集まれる人だけでも、集めて思い出話に花を咲かせてみたいなとも思ったりしました。