2022年06月22日
シャワーを浴びて
今日の午後は、かなり激しい雨が降り、かなり蒸し暑い日でした。
家に帰ってきて、かなり汗をかいていたので、着替えることにしたが、その前にシャワーを浴びたほうが良いということになって、シャワーを浴びた。
シャワーを浴びながら、こんなことを考えていた。
今はシャワーを浴びたいときに浴びることができる。好きな時に。
子供のころは、そんなに遠くないところに、2つの銭湯があった。
今もある「桑の湯」さんと「高原の湯」だ。
一人で行くことはなかったので、親が一緒に行ってくれる時に行っていた。
なので、いつでも自由に入れるということはなかった。
今の桑の湯さんには、行ったことがないのでわからないが、昔はシャワーはなかったような気がする。
湯の蛇口と水の蛇口だったような。
ある時から、家の外にプレハブのお風呂ができた。
家から一度でなければならないものの、どこかに出かけなくても、家でお風呂に入れる。
今思えば、そんなにいい環境ではなかったはずなのに、それでも嬉しかったような気がする。
それでも、サウナのある施設が出来て、そんなところに行くこともかなりあった。
その後、叔母の家の風呂、学校の寮の風呂、スーバー銭湯なんかも行ったりもしている。
アパートに住んでいた時は、自動で風呂がたまるタイプではなかったので、気が付けば湯船にお湯が満タン、もしくはあふれているなんて時も多かった。
なので、今の家では、自動でお風呂が貯められる、シャワーがいつでも浴びることができるというのが必須としていた。
なんか、単にシャワーをしただけなのだが、ふっと昔を思い出して、感傷に浸ってしまった。
今は当たり前が、ほんとに昔は当たり前じゃないことが当たり前だった時代。
もちろん、たまたま自分の生活では当たり前になっただけのことなのだが。
家に帰ってきて、かなり汗をかいていたので、着替えることにしたが、その前にシャワーを浴びたほうが良いということになって、シャワーを浴びた。
シャワーを浴びながら、こんなことを考えていた。
今はシャワーを浴びたいときに浴びることができる。好きな時に。
子供のころは、そんなに遠くないところに、2つの銭湯があった。
今もある「桑の湯」さんと「高原の湯」だ。
一人で行くことはなかったので、親が一緒に行ってくれる時に行っていた。
なので、いつでも自由に入れるということはなかった。
今の桑の湯さんには、行ったことがないのでわからないが、昔はシャワーはなかったような気がする。
湯の蛇口と水の蛇口だったような。
ある時から、家の外にプレハブのお風呂ができた。
家から一度でなければならないものの、どこかに出かけなくても、家でお風呂に入れる。
今思えば、そんなにいい環境ではなかったはずなのに、それでも嬉しかったような気がする。
それでも、サウナのある施設が出来て、そんなところに行くこともかなりあった。
その後、叔母の家の風呂、学校の寮の風呂、スーバー銭湯なんかも行ったりもしている。
アパートに住んでいた時は、自動で風呂がたまるタイプではなかったので、気が付けば湯船にお湯が満タン、もしくはあふれているなんて時も多かった。
なので、今の家では、自動でお風呂が貯められる、シャワーがいつでも浴びることができるというのが必須としていた。
なんか、単にシャワーをしただけなのだが、ふっと昔を思い出して、感傷に浸ってしまった。
今は当たり前が、ほんとに昔は当たり前じゃないことが当たり前だった時代。
もちろん、たまたま自分の生活では当たり前になっただけのことなのだが。
Posted by オザの塩尻ブログ at 22:58│Comments(0)
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